男魂クルーのブログ


by dankonten
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山に登るということは

 私は山に登る。変わり易い山の天気に翻弄され、過酷な登山道に身体は疲労し、やっと見る事の出来る雄大な景色に感動を覚える。パワーを感じる。
 そのような景色やパワーの残像を脳裏に焼き付け、私は東京の住処に戻り、友人にその体験を語る。
 しかし私の稚拙な言葉や写真では、私が体験した感動の情景は上滑りをしてしまうだろう。山頂へ至る道中、もしくは、山それ自体の過酷さばかりが浮き彫りになってしまうのだ。
 私の話を黙って聞いていた友人は、返す刀に決まって問う。
 なぜそうまでして山に登るのかー。
 私はじっと目を見る。シベリヤの凍てつく大地に身を屈め、獲物を狙うオオカミのように、私はじっと見る。なぜ山に登るのかと問う者の目を。そして、私はそのまま目を離す事無く、右手の大ジョッキを鷲づかみ、カッと喉にビールを流し込む。へらへらと秋刀魚の塩焼きをつついて「こう冷えちゃぁ仕事が捗らないね」なんて言ってヘイ生もういっちょ。

 30才になってからほんの遊び感覚で登山を初めてみた。容量60リットルのザックに寝袋やテント、2泊分の食料等を詰め込むと、背負う荷物の重さは30kgにも及ぶ。そのザックを背負い、10kmの道のりを山の頂上近くにあるテント場を目指すのである。
 確かに不思議に感じることだろう。なぜそんな重いものを背負ってわざわざ山に登るのか?不便極まりなし。一体何が楽しいというのか?友人がそう訊きたくなるのは当たり前である。
 私は小さい頃から両親に連れられて毎年のようにキャンプに行っていた。山里近くのキャンプ場や、湖の畔には、見た事の無い生き物や植物が溢れていた。私の心は、それらのためにいつもはしゃいだ。森の景色に触れ合うのが楽しみで仕様が無かった。親の言いつけ通りにテントをたてて、寝床の準備だけ済ませると、私は早々と散策に出かけた。瞬く間にカブトムシやクワガタ、サワガニなどを捕まえる事が出来ると、我ながら天才だな、などと思ったものだ。
 夜のキャンプ場には独特の雰囲気がある。山の冷ややかな空気を吸い込んで、焚火の熱をホッペタに感じる。ウイスキーを飲みながらチロチロと火を囲み、番をする大人に混じっていると、なんだか自分も大人になったようで嬉しいような照れくさいような。今から思えば、ウイスキーに酔った父親にかわれていたのだろう。あの日のウイスキーの苦味と粒貝の缶詰の味が忘れられない。
 そのように家族や友人とアウトドアを楽しんでいた幼い私は、いつの間にかテントの組み立て方も、火の起こし方も覚えた。森の木立を吹き抜ける風に、虫の音が交差する夜が好きだった。斜めに傾いたテントの中で夜を明かすことも悪くはないなと思った。
 幾度の夜を森の中で過ごす内に、私の山への憧憬は膨らんでいったのだ。私が登山を初めるのは自然な成り行きなのかもしれない。壮大な景色、紅葉色萌える氷河圏谷の中に、テントが胡麻粒のように散らばっている写真を見れば、その場所で夜を過ごしてみたくなる。
 
 長野県上高地のバスターミナルから8時間歩いてたどり着く涸沢ヒュッテ。穂高岳の山頂付近、標高2,309メートル地点のテント場。
 距離感のまるでつかめない灰色の空が頭上を流れていく。登山道は人々でごったがえしていた。10月初旬の登山にも関わらず、気温は氷点下になる。上高地のバスターミナルを出発したのが何日も前のことのように感じる。
 目指す涸沢ヒュッテまで、あとどのくらいだろう。足がうまく動かない。ザックの重みが、一歩足を踏み出すごとにドスンと膝を押しつぶす。暗く立ちこめた空と、冷え冷えとした空気。軋みをあげる膝。山小屋を目指す登山者の列が、遠くまで延々と続いているのが見える。まるで、紅葉の落ち葉を縫って歩く蟻んこのようだ。自分の食料を背負って行列がゆっくりと移動をする。黙々と足元を確かめつつ確実に。
 もう自分以外に頼れるものなど何も無いのだ。何もかもが自分との対話でしかなくなる。膝は大丈夫かい?腰は?肩は?呼吸はこんな感じ?あ、そういえば雨が止んだね。うぅ、カッパ脱ごうか。暑いね。蒸れる。ひたすら歩いてるだけだけど、それは、ひたすら運動してるって事だからね。暑い。ふぃー。すっきり。一服しよう。ダメ?もう少し行く?はいはいわーかりましたよー。登りますよー。登ります。いやーしかしまだかね。山小屋。ヒュッテ。お洒落に。ヒュッテ。何語?何語だろう。山小屋と言わずヒュッテ。たぶんスイス語。なぜ?なんとなく。そもそもスイス語ってのが存在するのかも知らんし。スイス。いいねスイス。そろそろ休む?うんうん紅葉奇麗ね。モコリンペンみたいね。遠くまで。遠くまでよく見えるね。うん。しかしあれだね。山小屋まだかね?
 自分の考えなどは細事にすぎぬ。無の境地。何もかもを無意識に委ねる。列の前の人が進むから私も進む。後ろの人が進むから私も進む。右の足を出せば、こんだぁ左を出すんだ。犬だってやってるぜ。右、左、右、左。当たり前だ。馬鹿者。あぁ死にたい。もういやだ。ヘトヘトだ。死のうか。足をちょっと滑らせて。滑落死。痛いだろうな。顔とかぐちゃぐちゃになるんだよね。やっぱり。ヘリコで遺体収容。ヘリコプター。ヘリ、コプター。ヘリコ、プター。で遺体の収容。お金かかるぞ。家族に申し訳ない。いーやいやまいったまいった。死ねない。おっ、風が心地ち良いね。なんだか背筋が伸びるようだ。あー気持ち良いねぇ。ねぇってば。ね?って、あれ。シンゴが眉間に皺を寄せている。膝か?膝にキているの?じゃぁ少し休憩…。あ、けんちゃん。あ、なんかやりきった顔してる?心此処にあらず?放心状態?なんかけんちゃんがボンヤリ見えるね。おーい。おーいけんちゃん。あ、鼻から?なになに?なにそれ?魂?鼻から出てるのそれ、もしかしてけんちゃんの魂?ふふっ。いや、笑っちゃダメか。ふふっ。でも可笑しいよねぇ。鼻から魂出ている人の顔って、可笑しいよねぇ。無表情。というと少し違うかな。なんか、未来を真っ直ぐに見つめるって感じなんだけど、目が死んでる。死んだ魚の目?でも鼻からピロピロ魂が出たり入ったりしているから呼吸はしているね。生きてる。けんちゃん生きてる。でもほら、まだ山小屋まで歩かなきゃいけないんだよ?やりきったような顔に見えるけど。ねぇ。だってまだ山小屋に着いてないんだよ?あれぇ?変だな。やりきった顔している!まだ着いてないのに!まだ着いてないのにね!着いていないのにったらね!!ってそれでも足を踏み出すのは、ここまで来たらもう戻れないことをみんなが知っているからだ。

 午後2時。上高地のバスターミナルを出発してから8時間。涸沢ヒュッテを眼前に捕らえながら、視界の端にチラチラと漂うもの。雪が降って来た。我ら三人はようやっと涸沢ヒュッテに着いた。ハイタッチだ。くそ。呼吸を整えながら、やっとの思いで辿り着いた。すでに辺り一面にはうっすらと雪が積もっている。くそ。降りしきる雪。止む気配など微塵も感じない。慌ててテントを張り、雪や汗で濡れた衣服で身体が冷えないように着替える。くそ。死ぬぞ。ははっ。ちょっと笑える。ダウンジャケットを着込んで、ゴアテックスを羽織る。くそ。死ぬるぞ。はは。着込んでもじっとしていては凍えてしまいそうだ。はは。このまま死ぬるんだぞ。あはは。素早く食事。くそ。へっ。身体を芯から暖める。そうしないと死ぬ。くそ。あははは。そのまま眠る。くそ。身体が温かい内に眠る。くそ。あはは。


 次の日、太陽が昇る前に目を覚ました。さびぃ。容赦なく。しかし放尿したいので、勇気を何重にも振り絞ってテントのジッパーを開け、外へでると、そこは雪国だった。
 太陽は偉大だ。降り積もった雪を溶かす、身体中の血を暖める、山の極寒の夜を過ごすと、朝日の恵みを感じる事が出来る。生きている。刻々と日陰が日向に変わっていく。目を覚ました者の真っ白い息づかいを見る。キラキラしている。私の息づかいも真っ白だ。キラキラしている。風がさわやかに吹いている。自らの歩みに地面の凹凸を感じる。トイレを待つ人が列をつくっている。空腹を感じる。私は腹が減っている。私は生きようとしている。まだまだ生きようとしている。

 なぜ、山に登るか。
 死を隣に実感するためだ。私はそう答える。
 イコール、生を充実したものにするため。すなわち山を降りるために山に登る。

 次の日、下山の山道は木漏れ日の中だった。轟々と大量の水をたたえて河が流れていく。その川の畔に池がある。あたたかい。鳥がさえずる。池には波1つたたず、岩魚が数匹流れに逆らって漂っている。その池に空の青。木々の赤、黄、緑。鮮やかな色が池に映り込んでいる。あたたかい。三人は歩調を合わせてランランラン♪愉快だ愉快だ。ね。シンゴが膝に違和感。膝に違和感。違和感。世界中の何処を探しても、シンゴの膝以外に違和感なんてない気がする。シンゴの膝以外に違和感なんてない気がするぅ〜。シンゴの膝以外に違和感なんてない気がするぅうぅ〜。
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by dankonten | 2010-11-04 22:42